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40度の真夏に、私は両親に車の中に閉じ込められた
気温が40度に達する真夏の中、私・佐伯美奈(さえき みな)は酷い風邪で高熱を出していた。 それなのに両親は、弟である佐伯陽斗(さえき はると)の荷物持ちをさせるため、私を無理やり遊園地へ連れ出した。 車を降りるなり、陽斗がアイスを食べたいと駄々をこねた。 両親は陽斗を甘やかすように抱きかかえてそそくさと立ち去り、私はロックされた車内に一人置き去りにされた。 うだるような熱気に目を覚ました私は、助けを求めて必死に車の窓を叩いた。 ガラス越しに、母がふと振り返るのが見えた。 母は父に向かって「あの子ったら、どうせ車の中でエアコンに当たっていたくて降りてこないんでしょ」と言っていた。 車内の温度は70度近くまで跳ね上がっていた。 薄れゆく意識のなか、最後に目にしたのは、アイスを手にした陽斗が私に向かってあっかんべーをしている姿だった。 私の魂が体を離れ、車外へと揺らめき出ていく。 お父さん、お母さん。これでようやく、私を目障りに思わずにすむね。
チャプター (1)
第1話
気温が40度に達する真夏の中、私・佐伯美奈(さえき みな)は酷い風邪で高熱を出していた。
それなのに両親は、弟である佐伯陽斗(さえき はると)の荷物持ちをさせるため、私を無理やり遊園地へ連れ出した。
車を降りるなり、陽斗がアイスを食べたいと駄々をこねた。
両親は陽斗を甘やかすように抱きかかえてそそくさと立ち去り、私はロックされた車内に一人置き去りにされた。
うだるような熱気に目を覚ました私は、助けを求めて必死に車の窓を叩いた。
ガラス越しに、母がふと振り返るのが見えた。
母は父に向かって「あの子ったら、どうせ車の中でエアコンに当たっていたくて降りてこないんでしょ」と言っていた。
車内の温度は70度近くまで跳ね上がっていた。
薄れゆく意識のなか、最後に目にしたのは、アイスを手にした陽斗が私に向かってあっかんべーをしている姿だった。
私の魂が体を離れ、車外へと揺らめき出ていく。
お父さん、お母さん。これでようやく、私を目障りに思わずにすむね。
第1話
車内の空気は、焼けつくように熱かった。
私ははっと目を覚ました。
汗が目に入って視界がぼやけ、喉は焼けるように乾いて痛んでいた。
口を開けて息を吸おうとするが、肺に流れ込んでくるのは熱風ばかりだ。
窓の外からは、突き刺さるような日差しが降り注いでいる。
ドアは固く閉ざされている。
私はドアノブに手を伸ばした。
ガチャ。
ピクリとも動かない。チャイルドロックがかかっているのだ。
窓の外へ目をやると、父と母が陽斗の両手を繋ぎ、遊園地の入口へと向かって歩いていた。
陽斗の手には、買ってもらったばかりのアイスクリームがある。
私は必死で車の窓を叩いた。
「お母さん!お父さん!」
声はガラガラにかすれ、弱々しく響くだけだ。
分厚いガラスが、私の叫びをことごとく遮断している。
両手を握りしめ、バン、バン、バンッって窓ガラスを殴りつけた。
手のひらが激痛で痺れる。
ふと、母が足を止め、車の方へと振り返った。
私はなりふり構わず手を振った。
だが母は眉をひそめ、父に向かって口を開いた。
唇の動きで、何を言っているのか分かってしまった。
「あの子ったら、どうせ車の中でエアコンに当たっていたくて降りてこないんでしょ。
ほっときましょ。陽斗を連れて遊びに行きましょ」
父は振り返りもせず、陽斗を軽々と抱き上げた。
「放っておけ。出てこられて水を差されるよりマシだ」
陽斗は父の肩越しに、車内の私を見つめていた。
両手に持った二つのアイスを持ち上げ、あっかんべーと舌を出した。
意地悪な顔をつくり、口元がこう動いた。
「あつくなってしんじゃえ」
仲睦まじい3人家族の背中は、そのまま遊園地の入口の向こうへと消えていった。
車内の温度は、今この瞬間も上がり続けている。
外気温40度で、屋外駐車場は遮るものが何もない。
黒いルーフに直射日光が容赦なく照りつけ、車内はまるでオーブンのように熱気を溜め込んでいく。
めまいと吐き気で、意識がグラグラと揺れる。
今朝、39度の高熱を出していた私は、家で休ませてほしいと母に懇願した。
しかし母は、私の掛け布団を勢いよく引っぺがしたのだった。
「こんな真似をしてどういうつもりよ!
今日陽斗が遊園地に行くのに、あなたが行かなきゃ誰が荷物を持つの?
今まで誰のおかげで飯が食えて服が着られてると思ってるの? ちょっと手伝わせようとしただけで病気のフリなんてして!」
傍らで父が冷ややかに鼻を鳴らした。
「行きたくないなら行くな。その代わり、これからの小遣いも生活費も一銭もやらんからな」
私は重い体を無理やり引きずり、車に乗るしかなかった。
席についた途端、限界を迎えた体は意識を保てず、後部座席に倒れ込むように眠ってしまったのだ。
まさかその眠りが、二度と目覚めぬ死への入り口になろうとは思いもしなかった。
額から流れ落ちた汗が目に入り、沁みるような痛みに少しだけ意識が持ち直す。
助けを待っていては死ぬ。自分でなんとかしなければ。
私は運転席の後ろへ這い寄り、前の座席へ乗り越えてドアを開けようとした。
だが、運転席と助手席の間には、頑丈な金網が立ちはだかっていた。
父が飼っている愛犬が前席へ飛び出さないように取り付けたものだった。
私はなりふり構わず金網を引っ掻き、引き千切ろうとした。鋭い針金が指先に食い込み、赤黒い血が滲み出る。
痛みなど感じている暇はなかった。少しでも隙間を作ろうと、強引に体をねじ込む。
しかし隙間はあまりにも狭く、すり抜けることなど到底不可能だった。
絶望とともに後部座席へ崩れ落ちた。
諦めきれず、金網の隙間から腕を限界まで伸ばし、ハンドルのクラクションへ手を伸ばした。体重をかけて必死に押し込んだ。
音がしない。
私は愕然とし、何度も、何度も強く押し直した。
それでも、車内には虚しい沈黙が広がるだけだった。
そこで思い出した。先週、父が「クラクションの音が気に入らない」と言って、バッテリー周りの配線を自分で弄っていた。
エンジンを切った状態では、クラクションが鳴らない構造になってしまっていたのだ。
息をするのが急速に苦しくなっていく。肺に吸い込む空気が熱で焼きつくように熱く、胸が押し潰されるように痛んでる。
私は上着を脱ぎ捨て、それを肘にぐるぐると巻きつけた。
そして、残された体力を振り絞り、サイドガラスに向かって肘を叩きつけた。
1回……2回……
それでも強化ガラスは割れなかった。激痛で肘の骨が砕けたかと思った。
体の水分はとうに干からび、汗すら出なくなった肌が赤く熱を帯びていく。
意識が、少しずつ遠のいていく。
シートの上に崩れ落ち、荒い息を繰り返してる。
視野の端から黒い斑点が広がり始め、胸の奥で心臓が暴れるように鳴り響いている。
第2話
車内の温度計は、すでに60度を超えていた。
熱せられた内装のプラスチックから、嫌な匂いが漂ってくる。
激しい吐き気に襲われて胸がむかつくのに、胃の中には吐き出せるものなど何もない。
今朝、母は陽斗の分だけハムエッグを焼き、私には水の一滴さえ与えてくれなかったのだから。
私は頭を窓ガラスに叩きつけた。
額が割れ、血が頬を伝って口の中に流れ込んでくる。鉄の味が広がった。
のどが渇いてたまらない。
ドアポケットを探ったが、空っぽだった。
ミネラルウォーターの一本すらない。
たった一本残っていた飲みかけの水も、車を降りる時に陽斗が持っていってしまったのだ。
内臓が壊れていくようだ。お腹の奥から狂おしいほどの激痛が広がっていく。私は痛みを感じて口を大きく開けた。
私は後部座席の足元にあるフロアマットの上に体を丸めた。そこが、車内で唯一日の当たらない場所だったから。
マットには、陽斗が散らかしたお菓子のくずや泥がこびりついていた。
私はその汚らしいマットに顔を押し付け、少しでも冷たさを感じようとした。
だが、無駄だった。マットすら熱を帯びている。
爪が食い込むほどに、マットを引っ掻いていた。そうすれば内臓の痛みが少しでも和らぐかのように。
遠のく意識のなかで、色んなことが頭をよぎった。
8歳の時、私が高熱を出したのに、両親は陽斗だけを連れてごちそうを食べに出かけ、私を一人で家にお留守番させた。
高熱で引きつけを起こしていた私に気づいた近所の人が、ドアを蹴破って病院へ運び込んでくれた。
医者は「あと30分遅れていたら後遺症が残るところだった」と言った。
なのに病院に駆けつけた両親が最初に口にしたのは、私への責める言葉だった。
「ただの熱くらいで大騒ぎして、ご近所に恥晒してんじゃないわよ。
入院なんて、金の無駄遣いさせやがって」
15歳の時、私が学年トップの成績を取り、陽斗が学年最下位を取った。
なのに父は私の賞状をビリビリに破り捨てた。
「女がいくら勉強したって何になる!
どうせ他家に嫁ぐ身だろうが!
お前は将来、陽斗の起業の資金でも稼いでいればいいんだ」
そして昨日、大学の合格通知書を手渡した時、母は一瞥さえしなかった。
「学費は自分でなんとかしなさい。
うちのお金は全部、将来陽斗に家を買ってやるために残しておくんだから」
そして今、私はここで死のうとしている。
呼吸は静かに途切れ、視界は完全な闇へと落ちていった。
心臓の鼓動が止まり、体を苛んでいた苦痛が消え去る。
体がふわりと軽くなり、車のルーフを通り抜けて、宙へと浮かび上がっていく。
私は空中で、マットの上に痛々しく丸まり、真っ赤に変色した皮膚のまま、半開きの目で息絶えている自分の姿を見下ろした。
私は、18歳の夏に死んだ。
涙は、一滴も出なかった。
私は揺ら揺らと、遊園地の方角へと漂っていった。
あの人たちが今、何をして楽しんでいるのか確かめるのだ。
遊園地の中は、大勢の人で賑わっていた。
上空から見下ろすと、あの3人の姿はすぐに見つかった。
父と母は、陽斗に付き添ってバンパーカーに乗っていた。
運転席には陽斗、助手席には父が座り、ハンドルさばきを教えている。
母は柵の外からスマホをかざし、弾けるような笑顔で写真を撮っていた。
「陽斗、すごいわ!」
「ぶつけろ! あの子の車にぶつけろ!」
父が大声で指図すると、陽斗は興奮した叫び声を上げた。
一回分が終わると、陽斗はまだ遊び足りない様子で走ってきた。
「僕、もっとやりたい!」
母は急いで冷えたジュースを差し出した。
「いいわよ、すぐチケット買ってあげるからね。
今日は思いっきり遊ぼうね」
父はポケットからハンカチを取り出し、陽斗の汗を甲斐甲斐しく拭った。
「暑くないか? どっかエアコン効いてるとこで休むか?」
陽斗は首を振る。
「ジェットコースターに乗りたい!」
その3人家族の頭の片隅にも、屋外駐車場に残された私の存在などなかった。
昼時になると、3人は遊園地内にある高級なテーマレストランへ入っていった。
店内はエアコンの冷気が心地よく効いている。
母はステーキにピザ、シーフードパスタと、テーブルいっぱいに豪華な料理を注文した。
陽斗はアイスクリームを口いっぱいに頬張っている。
「ねえお母さん、お姉さんはどうして来ないの?」
ふと、陽斗が口を開いた。
ステーキを切っていた母の手が止まった。
第3話
「放っておけ。どうせ車の中で眠りこけてるのよ。
あの子は昔から生意気で、いつも意地を張ってるから」
父は冷えたビールをあおりながら言った。
「ワガママに育てすぎたんだ。あとで食べ残しのハンバーガーでも持ち帰ってやれば十分だろ。
一回痛い目を遭わせて空腹の辛さを味わえば、ありがたみが分かるというものだ」
陽斗がくすくすと笑った。
「お姉さん、ずっと出てこなければいいのに。そうすればお父さんもお母さんも、僕だけを愛してくれるでしょ?」
母は怒るどころか、愛おしそうに陽斗の頬をつねった。
「まあ、可愛いこと言っちゃって。
お母さんはもちろん、陽斗のことが一番好きよ」
父もヘラヘラと調子を合わせた。
「そうだ。あんな出来損ない、どうせ将来は他人の家へ嫁ぐんだ。この家のものは全部陽斗のものだからな」
3人の頭上に漂いながらその会話を聞いていたけれど、私の心にはもう何の波風も立たなかった。
だって私は死んだのだ。もう傷つくこともない。
テーブルの上の食べ散らかしを見つめていると、母が店員を呼びつけて持ち帰り用の袋を要求した。
「この食べかけのハンバーガー、包んでちょうだい」
店員は半分ほど残ったハンバーガーに視線を落とし、戸惑いがちに言った。
「お客様、こちらはすっかり冷めておりますし、それに……」
「包めって言ったら包みなさいよ!」
母は不機嫌そうに言葉を遮った。
「犬に食わせるかもしれないでしょ!」
犬に食わせる。
ああ、母の頭の中では、私は犬以下の存在だったのだ。
持ち帰り用の袋を手にしてレストランを出ると、外は相変わらず猛暑で、ねっとりとした熱風が襲いかかってきた。
父が忌々しそうに吐き捨てる。
「クソ暑いな。こんな日はクーラーの効いた部屋から出ないに限る」
午後の遊園地は、さらに混雑を増していた。
陽斗がお土産を買ってとねだり、3人はおもちゃ屋へ入っていく。
陽斗の目が留まったのは、大きなロボット玩具だった。値札には「6万円」と書かれている。
さすがに母も躊躇した。
「陽斗、これは高すぎるわ。もっと小さいのにしましょう」
「やだやだ!これがいいの!買ってくれないなら絶対起き上がらない!」
陽斗はすぐさま床にひっくり返り、ジタバタと駄々をこね始めた。
周囲の客が一斉に白い目を向ける。世間体を気にした父は、慌てて陽斗を引き起こした。
「買う! 買ってやるから立て!」
父はスマホを取り出して決済画面をかざし、眉ひとつ動かさずに支払いを済ませた。
そのロボット玩具を見つめながら、私は自分の大学の学費のことを思い出していた。
昨日、私は泣きつくようにして初年度の学費を出してほしいと頼んだのだ。
父は私を蹴り飛ばし、床に突っ伏させた。
「10万円だと!? 俺をATMか何かと勘違いしてんのか!
女が専門学校で十分だろうが! なにが難関大学に行くのだ!
学費なんて自分でバイトして稼げ。俺からは一円足りとも出さんからな!」
それなのに今、父は陽斗の玩具のために6万円の金を、眉ひとつ動かさずにはたいたのだ。
ああ、これが私の素晴らしい父親だ。
玩具を手にすると、今度はパレードが見たいと陽斗が騒ぎ出した。
3人は人混みをかき分けて最前列に陣取ると、父は陽斗を肩車し、母は隣でパタパタと団扇で仰いでいた。
「陽斗、よく見える?」
「うん! ばっちり見えてるよ!」
パレードのフロートに乗ったパフォーマーが色とりどりの水を撒き散らし、彼らの顔を濡らす。
3人は弾けるような笑顔を見せていた。
時間が一分一秒と過ぎていき、やがて太陽が西の空へ傾くと、気象の熱気もわずかに和らいでいった。
けれど、車内に取り残された私にとって、そんなことはもう何の意味もなさない。
酷暑の車内で、私の遺体は腐敗を始め、酷い悪臭を放ち始めていた。
夜の8時、遊園地の花火が打ち上がり終えると、訪れていた客たちがゾロゾロと帰り始めた。
両親は陽斗の手を引き、満足げに駐車場へと歩を進める。
「今日はすっごく楽しかった!」
大きなロボット玩具を抱きしめながら、陽斗が言った。
「でもちょっと疲れちゃった」
「車に乗ったら家までぐっすり寝ていいぞ」
父が優しくその頭を撫でる。
母は冷め切ったハンバーガーの袋を揺らしながら呟いた。
「それにしても、あの子、車の中で蒸し焼きになって死んでなきゃいいけど。
丸一日なんの音沙汰もないじゃない」
「フン、しぶとい命をしてるさ」
父が鼻で笑う。
「どうせ後部座席でスマホでも弄ってるんだろ。車に着いたらきっちり説教してやる」
3人は、あの黒い車へと一歩一歩近づいていく。
私もふわふわと彼らのあとに続いて漂っていった。
さあ、最高のショーの始まりだ。
あの3人がどんな顔をするのか、見届けてやろう。